Blog Post “SHOTGUN SPECIAL” STORY vol.5

“SHOTGUN SPECIAL” STORY vol.5
11月

21

2014

“SHOTGUN SPECIAL” STORY vol.5

マリブの裏山を上がった崖の上に家がある。
太平洋を見下ろして、松部やSHOTGUNが一望できる家でHICのサーフボードに囲まれて暮らしている。サーファーの僕には夢の暮らしだ。

THE DAY。
10〜5,6まで10数本あるエクイップメントの中から選んだのは、もちろんお気に入りの赤い8,4のSHOTGUN SPECIALだった。
なにしろ今回の話しの主役はこの板だからね。これ持って行かなかったとなると話しにならない。

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DAHUIの盟友 鎌田靖の車に乗り込み、多くのサーファーで賑わうマリブに手を振って松部の港に到着するとそこは別世界のようで、サーファーの姿はまるでなかった。
ブレイクする波は遥かアウトサイドにあり、我々以外はその波に乗ることも思考のアウトサイドにあるようだった。

小さな港からパドルアウトする。
シャローなリーフの際をかすめて長磯の先を回り、波のブレイクしない深いチャンネルを激しく揺られながら沖へ進む。
大きなうねりを越える度視点が高くなり、いつもは広く感じる湾が小さく見えてくる。
松部のアウトリーフにたどり着くと更に陸の世界が小さく低い場所に見えてくる。

日本を代表する超一級のブレイクであるマリブや松部のファーストリーフが遥かインサイドに小さく見える。
深く広いチャンネルの向こうに中根の波、いわゆるSHOTGUNが見える。
そこには開拓者である蛸操氏と徳田プロがラインナップしていた。

秋の青く高い空に、時折台風の外側の雲がやってきて雨を降らせる。
脳挫傷からの復帰後、初めてのビッグウェーブセッションはおよそ2年のブランクがあった。
オフショアが強くなると極端にテイクオフが危険度を増すSHOTGUNを避け、その復帰第一戦は自身が最も愛する松部アウトサイドになった。
そこはサーファーとしての自分が生まれた場所であり、一度死にかけた自分が再びサーファーとして戻って来るに相応しい場所であることに間違いはないと思えた。

生死をさまよった私でなくとも、サーファーにとってワクワクする気持ちと恐怖心はいつも背中合わせであろう。
ビッグウェーブサーフィンに於いて、この異なる2つの気持ちを1つにまとめていく事がまず最初にすべきことだ。
じっくりと自分の中にいるもう1人の自分と話し合い、「自分は恐怖におののくためではなく、大波を楽しむ為にここにいるのだ。」と心が感じるまで精神を引き上げる。

6〜8フィートだった波は上げ潮にのって次第にサイズを増し、8〜10フィートが沖の棚でブレークし始めた。
僕らはしこたま喰らってインサイドまで吹っ飛ばされた後、慌ててポジショニングを改めサードリーフにラインナップをとることになった。

バックナンバー
“SHOTGUN SPECIAL” STORY vol.1
“SHOTGUN SPECIAL” STORY vol.2

“SHOTGUN SPECIAL” STORY vol.3

“SHOTGUN SPECIAL” STORY vol.4


筆者紹介

ishimaru

HIC JAPAN TEAM RIDER
石丸 義孝 – Yoshitaka Ishimaru

生年月日:1963.4.2

ホームポイント:マリブ 松部 SHOTGUN

ボードスペック
:5’10” x 20 1/8″ x 2 7/16″ Rocket Fish
:6’4″ x 18 1/4″ x 2 1/4″ Amplifire
:8’4″ x 19 5/8″ x 3+ SHOTGUN SPECIAL