Blog Post “SHOTGUN SPECIAL” STORY vol.8″

“SHOTGUN SPECIAL” STORY vol.8″
4月

14

2015

“SHOTGUN SPECIAL” STORY vol.8″

3〜4フィートの北東のうねり。
ファーストリーフが決まる時、ピークとミドルそしてインサイドと3つのチューブセクションが現れ、それらをつなぐ2つのフェイスでいくつものマニューバーを描ける極上の波になる。

しかし、6フィートを超えてセカンドリーフから乗り込むようなコンディションになると、ファーストリーフは100メートルの1セクションとなり松部は本来の凶暴な牙をむく。

それは分厚い水の塊で出来たバレルのみのセクションで、松部でサーフィンをしたことがある人は沢山いても、このバレルの中を走った事のあるサーファーはそう多くはないだろう。

3本目の波。
アウトからファーストリーフに乗り込み巨大なバレルに挑んだがメイクできず、しこたま巻かれたインサイドでリーシュごとサーフボードを失ってしまった事に気付いた。

ノースショアのサンセットで経験するような巻かれ方をここ松部でも体験できる。
頭から尻に串を刺され、「人間はこんなに早く回転出来るのか?」と感心するほどコマのようにグルグルと回される。
その間は恐らく高速でインサイドへ運ばれているのだろう。
しかし意外に冷静で、その姿は想像でだが客観視できるほど。

苦しいのはその後だ。
水の動きが止まり、上下のわからない暗黒の世界。
光を探して水面を目指す。
サーフボードがない分抵抗も少なく、太陽に向かって上がっていく。
インパクトに近ければ「次の波が来る前に上がらないとまずい。」と焦ることもあるが、あれだけ転がされ吹っ飛ばされれば、経験上ここはもうインサイドの崖の下で、次のピンチはフジツボの棚に打ち上げられるか、洞窟に押し込まれるかだ。

水面に顔を出した時は崖の下の近くにいたが、強烈なカレントであっという間に洞窟よりもずっと串浜よりのチャンネルに押し流されて浮かんでいた。

水には馴れていても巻かれている間の水中は目では見ることができないイメージの世界で、海面に顔が出て呼吸をし、肺に新しい空気が入ってくると水中でのイメージの世界と現実の世界がヒュッと重なりひとつになる。
その現実とは巨大な波が炸裂している崖の下で海に漂っているのが自分で、尚且つ奇跡的なサーフライドを叶えてくれたマジックボードを失っていて、この海の状況下でそれを見つけ出すという現実だ。

松部の崖下はフジツボだらけのテーブル状の棚が何段かに重なり合って形成されていて、その日はそこに巨大なショアブレークが炸裂しては乗り上げていた。
そのショアブレークの水はピークの正面を境に左右に別れて強いカレントになって沖へ向かっている。
僕はそのカレントに逆らいながら崖の下に向かって泳ぎ始めた。

カレントはそこで波に乗れるかと思うほどデコボコと激しく、まるで流れるプールを逆行して泳ぐよう。
少し泳いでは水面から高く顔を出してサーフボードを探し、カレントに戻された分を更にまた先へと泳ぎ進む。
それを何度か繰り返したが水面に浮かぶサーフボードを見つけることはなかなか出来なかった。

最悪の状況を受け入れなくてはならない。
そう意を決して崖下のフジツボの棚に向かって泳ぐと、悲鳴をあげるように棚の上を引き摺られている赤いサーフボードが目に入った。
スープが棚を駈け上がると板も一緒に押し上げられ、波が返ると引き摺られて下に持って行かれている。
20m〜30mのところまで泳いで近づいたが、棚から崖に打ちつけるスープの手前で立ち泳ぎをしているのが精一杯。
それ以上近付けば自分が棚の上を転げ回ることになり、いずれにしてもサーフボードを手にすることはできそうにない。

サーフボードが運よく棚から水に落ちるのを待っていたが、繰り返し引き摺られるだけで埒があかない。
フジツボにこすれる音が聞こえるようだ。
傷だらけのサーフボードが悲鳴をあげている。
それを見つめながら、スープにやられながら10分も泳いでいただろうか?
心の痛みと共に肉体にも疲労感が押し寄せてくる。
大波とカレントの中を岸まで泳いで戻るのに必要なスタミナは未知数で、自分自身もそう安全な状況ではない。
やむなく「まずは命が大切!」とサーフボードを諦めて串浜港へ向かって泳ぎ始めた。
それでも2度、3度と振り返ったが状況はかわらないようだった。

まずはブレイクした波がつくり出すカレントを越える。
次は通称ガンガンと呼ばれる磯釣りスポット付近。岸に向かって来るうねりの中に沖出しのカレントがあり、越えて行くのに苦しんだ。そして串浜港の防波堤の付近も流れが複雑だ。
とくに港口はきつい。
港の中の水が外に吐き出していて、泳いでも泳いでも中に入れてもらえない。
そんな時は「いつかどうにかなんだろう!」くらいの気持ちでひたすら手を回すしかない。扉はあきらめない限りいつか開くのだ。

ある瞬間、突然潮の流れに乗って魔法のように港口に吸い込まれた。
港の中は嘘のように静かだった。
かなりの時間、おそらく30〜40分は泳いでいただろう。
疲れた身体をクールダウンするようにゆっくりと泳ぎながら陸にたどり着くと水から上がった身体はズッシリと重力を感じた。
レストラン「カクイ」さんの脇を抜けてR128のトンネルを串浜から松部サイドへ向かう。
濡れた身体でこのトンネルを歩く時は必ずビッグデイだ。
過去に何度となくこのトンネルを歩いてきた。
ある時はガンを抱えて満足げに、ある時は折れた板を抱えてガッカリと、またある時は今回のように板を失って泳ぎ疲れてグッタリと。

しかし、その中でも今日は最も特別な日であることは間違いない。
異様な高まりと充実感に包まれながら、失ってしまった大切なサーフボードを取り戻しに再び水へ戻る不安が交錯していた。

新兵衛いけす側の小さな港から滑る磯へ降りると、ロックホッパーウェットスーツの名の由来となった岩場をペンギンのようにヨチヨチと歩いていく。
滑らないように見ていた足元からフッと視線を上げると前から鎌田靖が歩いて来るのが見えた。
彼は両脇にサーフボードを抱えていた。
一本はクリアな自分のサーフボード。
もう一本は僕の赤いショトガンスペシャルだった。

150216shogun3

僕が泳いだりトンネルを歩いている間、おそらくは彼も同じような波をメイクしてきたのだろう。
そして、その中の一発は棚にひっかかっていたサーフボードを押し上げて水に戻すほどの大波がきたのだろう。

海に浮かぶ赤いサーフボードをひろったが僕の姿がどこにもない事で彼は焦っていた。
僕と対面したことでホットしたが、それでもひきつったような笑顔が印象的だった。

赤いサーフボードは写真のようにフジツホやリーフでギタギタになってしまった。
それでも手元に帰って来てくれたことに感謝したい。

僕の体験談SHOTGUN SPECIAL STORYを最後まで読んで頂きありがとうございます。
タイトルこそSHOTGUNだけど今回はアウトサイド松部の物語。
勝浦湾にある松部やマリブやショットガンなどクラシックなサーフブレイクはボトムが岩礁でカレントも強く、魅力的な見かけと裏腹に危険が付き物。
また、一般的な競技ルールは通用せず、ローカルルールで秩序が守られている。
もしもその波に乗りたければ、必ずローカルサーファーと同行してもらうことをお薦めする。 

最後にもう一度感謝を。
素晴らしい波とそれを一緒にサーフしてくれた鎌田靖。
それからこの海に快く送り出してくれる家族やバックアップ頂いてる山本武社長とエリックさん始めHICスタッフの皆さん。
ローカルサーファーズやIMSスタッフ。
たくさんの人達の支えがあって乗ることが出来る一本の波。
この日のライティングは一生忘れることがないでしょう。

あれ以来ビッグスウェルは来ていない。
2014年 SHOTGUN DAYはなかった。
真価を問われるのは今年かもしれない。

傷だらけのSHOTGUN SPECIALは修理を待たずして新たな逸品がエリックさんから届いた。次こそはニューボードでのライディングを記録に残したいね。
GOPRO付けて行ってみっか!

MAHALO

バックナンバー
“SHOTGUN SPECIAL” STORY vol.1

“SHOTGUN SPECIAL” STORY vol.2

“SHOTGUN SPECIAL” STORY vol.3

“SHOTGUN SPECIAL” STORY vol.4

“SHOTGUN SPECIAL” STORY vol.5

“SHOTGUN SPECIAL” STORY vol.6

“SHOTGUN SPECIAL” STORY vol.7


筆者紹介

ishimaru

HIC JAPAN TEAM RIDER
石丸 義孝 – Yoshitaka Ishimaru

生年月日:1963.4.2

ホームポイント:マリブ 松部 SHOTGUN

ボードスペック
:5’10” x 20 1/8″ x 2 7/16″ Rocket Fish
:6’4″ x 18 1/4″ x 2 1/4″ Amplifire
:8’4″ x 19 5/8″ x 3+ SHOTGUN SPECIAL