SHOTGUN BLUES

 

始まりは1993年の松部アウトサイドセッションだった。

冬のハワイを経験して以来、それまで自分自身が思い描いていたサーフィンのイメージが一新され、ビッグウェーブへの憧れが心の中に芽生えて、それはことあるごとに魂を揺さぶるようなっていた。

クレイジーな暑さのその夏、8月の末に長女の誕生があった。
仕事と育児であまりサーフィンが出来ないまま、台風シーズンに突入し、あれよあれよと、アウトサイド松部セッションが始り、それがSHOTGUN開拓への道と繋がることになる。


キンちゃんことフォトグ木本直哉氏の登場で、松部の新兵衛いけす前には、早朝から数名のプロサーファーが集まり、フォトセッションのスタートのタイミングを計っていた。

午前中のセッション。
6~8フィートの松部。
6’10“クラスのサーフボードで挑むサーファーが多い中、松部をホームにノースショア通いを始めていた僕は8’0″のサンセットガンを持ち出し、何本かのビッグドロップをメイクして上機嫌だった。
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しかし、セッションが後半になるにつれビッグセットはチャンネルをクローズするようになり、松部ピークの更に左アウトサイドに強烈な掘れ方をする波がブレイクし始めた。
そこへ向かう蛸さんを追いかけるようにピークに近づくと、その凄まじい波を目の当たりにすることになった。
3~4フィートのうねりがゲボガボと堀れて一気に8フィートに立ち上り、馬鹿デカいバレルがゴロゴロと音をたてるように転がっていた。
当時40歳だった蛸さんが、上体をのけ反るようにバランスを崩しながらも、1発目でその波をメイクした姿が今も脳裏に焼き付いてる。
それが「SHOTGUN 」の始まりとなった。
1993年の9月18日だった。

それ以来、僕らはSHOTGUN攻略に情熱を燃やし始めた。
カメラマンの参加で時として写真が残るものもあるが、大半が蛸さんと2人で人知れずチャレンジを繰り返していた。
ポジショニングやサーフボードをチューニングして、それでもリアルなSHOTGUNは簡単には攻略できずに20年が過ぎ去った。
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その間、1997年の久我孝男やブレット・ヤングとのセッション。
2006年の台風イオキでのセッションなど、奇跡的な波は数年毎に訪れた。
2010年と2011年は最大級ではなかったがSHOTGUNの当たり年であったように記憶している。

その年の経験を生かし、シェーパーのエリック・アラカワ氏とのリレーションシップで「SHOTGUN SPECIAL」というサーフボードが生まれた。
しかし、48歳になる2011年の12月から4年間、僕はSHOTGUNから遠ざかっていた。
頭部に怪我をして体調を崩した後、危険極まりないその波に乗ることをドクターも心配し、周囲からストップがかかったのだ。

その事故からの回復を待ってくれていたかのようにSHOTGUNも鳴りを潜めていた。


2013年の秋。
アウトサイド松部で8フィートの人生最高のパーフェクトロングライドを体験した。
そのセッションの最後で1本目のSHOTGUN SPECIALこそ壊してしまったが、肉体的にも精神的にもすっかり自信を取り戻すことができた。

そして、有難いことにエリックとHIC JAPANは2本目の SHOTGUN SPECIAL をすぐに用意してくれた。
準備は完璧に整っていた。


2015年の8月21日。
4年振りにSHOTGUNが覚醒した。

台風が南東方向から房総半島に向かっている天気図を見てバリ島から帰国したカメラマン木本氏は、関西から夜通し車を走らせ前日に千葉入りを果たした。

インターネットは、日本の波の素晴らしさも世界に届けてくれてるようで、情報を得た多くの外国人サーファーが来日を思索し、各地で受入れ先を探しているようで、外房の勝浦へもオファーがあった。

SHOTGUN RIDERS達は、この類い稀なサーフブレイクを大切に守るためにクラブの結束を強め、水上バイクでのレスキューなどのバックアップ体制を整え始めていた。
複数の漁港をもつ勝浦湾は船舶の航路も複雑で、サーファーや水上バイクなどの小さな存在が航路を横切るのは危険である。
それを把握している地元の重鎮であられる斎藤氏や川名氏、サーフィン界の総帥 照岡氏から強く方向性を示していただいた。
またフィッシャーマンでサーファーである浜勝浦の柴本直人や松部の吉野文仁氏らの意見や存在は大きい。

バックアップはもちろんサーファー自身の安全の為でもあるが、その事故によって漁業関係者や海上保安署など関係各位へ迷惑がかからない様にする為の配慮でもある。


台風イオキを思い起こす。
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セッション後半にやってきたそれは15フィートを超えるビッグセットだった。
僕はラインナップのいちばん沖にいた。
SHOTGUNは深い湾の真ん中に忽然とあるリーフなので、そのピークから沖はそれまでの経験上どんなに大きなセットが来ても崩れることがなかった。
しかし、その波は桁外れだった。
「ここではブレイクしない。」と安心しながらも少し沖へパドルを始めたが、波は予想外にピークしていく。
もしやと慌て全力でパドルを始めたが時既に遅し。
山のようなうねりをパドルで登っていったが、ぎりぎりアウトで分厚いリップと共にバックドロップしながらボトムに飛ばされ、グルグルに巻かれた後暗く深い水の底に押し込められた。

ラインナップ時に僕よりインサイドには数名のサーファーがいた。
柴本直人や真木泰斗らレフト側に逃げた数名は助かったらしいが、真下にいた蛸さんはもちろん、DAHUIの鎌田靖や鵜沢清永はしこたま巻かれ、金田輝士の板は3ピースになっていた。
最初の波からなんとか浮上して呼吸をして意識がはっきりすると100m以上はインサイドにもってかれていた。
すぐそばに蛸さんのサーフボードがブイののように縦にゆれている。
「蛸さんはまだ上がれてないんだ。早く顔を出してくれ!」と願ったがすぐさま2発目のスープが来てしまった。
再びグルグルになって、その後は重い水の底に完全に止まった状態が続いた。
水圧や潮流がピタッと収まった場所にいるようで、自らが動かなければ永久にそこにとどまるような気がしてくる。
真っ暗で上下も分からない世界。
足からピンと張ったリーシュだけをたよりに泳ぎ始めると少し光が見えてきた。
もうひとかき、もうひとかき、と光を目指すが6~7回かいたのでは?
やっと水面に顔を出し呼吸をするとまだそばに蛸さんの板が浮いていた。
スープが来ないことを確認してから近づくとやっと蛸さんが顔をだした。
2本の波に巻かれたまま水中にいた蛸さんは、泡を吹いて完全にいっちゃう寸前の顔つき。
というかいっちゃってたのかも?
そこへすかさず部原の江澤隆広さんがジェットで駆け付けピックしてくれた。

一連のいきさつがあり、その体制作りを強く推し進めてきたのは今は亡き部原の江澤和幸氏で、この体制作りは彼が残した数々の遺産のひとつでもあり、和幸氏のお兄さん隆広氏から俊介へ受け継がれ、我々もその体制を固めて安全性を高めるよう働いていた。
そんな最中だったから、その主旨を理解せずにパドルアウトしてくるサーファーを安易に受け入れることを望ましいとは思わなかった。

江澤和幸氏 松部にて

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錯綜する情報と現場の調整。
ジェットスキーやビッグウェーブ用エクィップメントの準備。
それに関わる諸々のメールと電話の対応も忙しく、時間だけが過ぎた前日。
SHOTGUNのパイオニアである蛸さんと生粋のローカルサーファー直人。
山本茂プロとソウルサーファーのオノゲこと小野塚智之と僕の5名は、このセッションが事故なく安全に運ぶよう連携し、さらに結束を強めて行動した。
とくに直人・オノゲ・茂の3名には感謝を尽くしたい。自分達がサーフィンする時間を削ってジェットを走らせライダー達のアシストをしてくれた。
サーフボードを折ってしまったサーファーだけにとどまらず、興味本意で沖へ見に来て強烈なカレントにはまり岸へ戻れなくなった技量不足のサーファーまで助けて回ったのだ。


話は戻る。

8月21日は奇跡のように風の穏やかな一日だった。
かつてこれほどまで風の無いSHOTGUNはなかったのではないだろうか?

午前中サイズは6フィートほどで恐怖感は控えめだったが、ロータイドに向かっていく潮回りのため徐々に掘れかたが増し、ボトムの岩が茶色く透けて見え隠れする。
太陽ギラギラのクリーンフェイスをマリブポイントの高梨三千尋やブレーブサーフの江澤俊介ら初参加のローカルボーイズがビックドロッブを決めていく。
SHOTGUNの歴史を振り返ってもサーフするメンバーはいつも同じで高齢化が進む中、未来を思えば若手の参加は大変に喜ばしい出来事だった。
マリブポイントの高梨氏に於ては、地元 武道大学のライフセイビイング部をまとめる男でもあり、海の安全に関しては最強のエキスパートなのだ。

ピークの主役は相変わらす蛸さんなのだが、バックドアなどでも腕を磨いてきた若手筆頭の中村昭太プロが数年前から参加し始め、この日もビハインドピークから虎視眈々とバレルを狙う姿があった。

ただひとり居合わせた世界的ビッグウェーバーのコール・クリステンセンは自力でパドルアウトして来たが、SHOTGUNセッションには加わらず日本人の様子を見ていた。
マーク・ヒーリーもその晩千葉入りし「ローカルボーイズはどうだ?」とその日のセッションの様子をコールに聞いていたようだ。


21日の午後のセッション。
カリカリに底をついた潮が満ちてくるのを待ってセッションが再開された。

相変わらず、風は弱かったが、潮の満ち込みに乗って徐々にうねりは厚みと高さを増し始め、午前中とは様子が違ってきた。
蛸さんと昭太が先にパドルアウトし、HICライダーの加瀬優と僕は山本茂プロのジェットで沖へ向かう。
直人とオノゲはピークの蛸さん達を見守ってくれていた。
蛸さんは疲れ知らずのようにドロップを繰り返す。
もちろん派手なワイプアウトが無いわけはない。
ここはSHOTGUNなのだから。

波は生き物のように、それも化け物のようにコンマ何秒かで姿を変えながらブレイクしていく。
記録に残ったシークエンス写真を見ればその異様なさまがよくわかる。
水量が少なければゲボカボと極端かつ複雑に掘れ、潮が満ちてもサーフボードのロッカーに合わないような段がいくつも現れてくる。
それは物凄いスピードで動く水の中で起きている。
仮に目で見えて身体を反応させようとしても、ガンボードと一緒に崖から飛び降りたような無重力状態でそれに対応するのはかなりの経験やテクニックが必要だ。

 

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開拓初期に、我々日本人がなかなかメイク出来ないので、当時エディで大活躍したビッグウェーバーの「ブロック・リトルを連れてきてやらせてみたい。」なんて声も聞こえた事があった。(HICライダーでもあり、1990年のEDDIEでの活躍をワイメアで見て以来、ブロックは僕の最高のヒーローだった。これを書いている時に彼の訃報が届いた。48歳という若さ。それは前述の江澤氏が亡くなった年齢でもある。偉大な人は何故早く逝ってしまうのだろう?お二人のご冥福を心よりお祈りします。)
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今回はそれに匹敵する2名コールクリステンセンとマークヒーリーが参加した。
THE EDDIEの招待選手であり、JAWSなどでも有名なビッグウェーバーの2人。
彼らでさえ満足いくライドが出来ず悔しがって帰っていった事でそのヤバさは世界レベルだと改めてわかった。
「波はどう?」と聞く僕の質問に首を振りながら「CRAZY WAVE!」と答えたヒーリー。
それが実際のSHOTGUN PEAKで交わした会話なのだ。
ただ日本人がダメだったわけでもなく、僕たちが攻略にかけてきた時間は無駄ではなかったことがハッキリした瞬間だった。

そしてこのブレイクに命をかけて来たサーファー達や世界に誇る波をいくつも抱える勝浦湾を愛しリスペクトしてきたことに喜びを感じた瞬間でもあった。


波は通常3本~4本のセットで現れる。
テイクオフ出来なかったりワイプアウトを考えるとセットの1本目に手を出すのはかなりのリスクがある。
しかし、2本目は1本目の波に水が持っていかれて水深が浅くなり、ゲボガボ状態がさらにひどくなる。
またピークが動くようでポジションが大きくずれたところに3本目がやって来る。
そのどれもが恐怖を感じるような掘れっぷりなので、心を決めて乗り込んでいくまでにも時間がかかる。
ここでドロップを決めるのはかなりのタイトなライン上だ。
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それでも蛸さんは赤い10 ’0ガンで究極のプレッシャードロップを決めていく。
昭太はビハインドからバレルを狙うためのポジションを徹底的に追究し、ライトがバレルにならなければレフトへ向かうという切り替えさえ上手くこなして見えた。


僕も、2段、3段と掘れる波の宙を浮きながら、そしてノーズが刺さりながらもなんとか珠玉の一本をメイクできた。
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1R目も2R目もSHOTGUN SPECIALは最高の反応をみせてくれた。
8’4″は水量が増してフェイスに高さが増すほどフィットしていくようだった。
ロータイドでは出だしは完璧だが長さが邪魔をするように「?・・・」を描きながらパーリングを繰り返した。
サーフボードのロッカーと掘れ過ぎた波のカーブが合わないのだ。
一瞬でテイルが持ち上げられ、サーフボードがボトムに降りるより早くさらにテイルが押し上げられことで垂直になる。
そのスピードが早すぎて自分は「メイク出来た!」と思っているのだが、ノーズが刺さってパーリングしているのだ。


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波のサイズやフェイスの状態に応じてだが、パーリングを防ぐために潮回りに合わせてもう1フィート短いもので試してみたいという課題と希望が残った。

セットの波で蛸さんが強烈なワイプアウトをした。
2度続いたように記憶する。
それを助けに行ったジェットが蛸さんをピックアップしてそのまま岸に向かって戻って行く。
蛸さんの存在は大きい。
ピークからそのお姿が見えなくなると7割り方セッションは終わったような印象を受ける。

夕方に向かって潮が増えると共に波は厚みと高さを増すようだった。
太陽が傾くにつれ波の中のコブが陰をつくりさらに異様な化け物のように見えてくる。

蛸さんに続いて僕もジェットの迎えを頼み松部港付近まで送ってもらった。
小さな入江は大波でゴタゴタになり、入ってきた水が沖へ出ようと猛烈なカレントを作り出していた。
船引場から上がろうとパドルするが最後の100mが一向に進まず焦り始めた。
1日サーフィンしてきた夕方の腕は回してるようでフルに力が入らなくなっている。
身体の疲労はピークで力の入った足がつりはじめる。
目指した船引場を諦め手前の堤防からフラフラになって上がった頃、沖のセッションは終盤を迎え、HICの加瀬優がその日最大といえる1本を乗り込んでいた。
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すべてのライダーの撤収を見届けるようにしてジェットチームもハーバーへ帰っていった。
彼らのアシストなしにあり得ない8月21日。
最高のセッションの一日だった。


翌日22日はオンショアになりストーミーコンディション。

翌々日23日は朝の早い時間はなんとか出来たが、9時過ぎには北東風が強まり、飛沫で前が見えない上に板も降りていかない状態。
波は化け物のようなエグいのが来てたが、コール君やヒーリー君もそれには手が出ないようだった。

この日は片貝から福地孝行氏。また鵜沢清永氏や牛越峰統氏など太東・一宮方面のビッグウェイバーの姿もあった。
一宮町議としてサーフィンの環境を押し上げてくれる清永やJPSAの元グラチャンのタカや現理事長としてもプロサーフィン界をリードするウッシー。
彼等がこのSHOTGUN最前線にいる凄さ。
それがそのまま千葉の凄さなのだろう。


午後には宮崎にいたハワイアンチームがマリブポイントに到着した。
WSLビッグウェイブツアーのチャンピオンでダフイの御曹司マクアカイ・ロスメン。
マウイローカルでJAWSライダーのイアン・ウォルシュ。
パイプライナーのダニー・フラーとイズィキール・ラウ。
「SHOTGUNは?SHOTGUNどう?」とやる気満々ではあったけど、沖合いは既にブリブリの強風でジェットスキーも出せない状態。
残念ながら、と諦めてもらったが、すぐに切り替えて「じゃあマリブで~!」と休む間もなく飛び込んで行き、凄いスピードでドライブの効いた太いトラックを刻んだかと思うと空高くエアを決めていた。

その晩は勝浦港前の韓海焔。スポンサーさん?のおごりの焼肉パーティーでたらふく食った事も付け加えておきます。


奇跡の3DAYSが終わった後もSHOTGUN RIDERSは結束を深め「勝浦BAY SURFRIDERS 」として活動域を広げている。

登山者のように、パドルアウトとパドルバックの届け出をし、PWCいわゆる水上バイクのドライバーとしてまたレスキュードライバーとしての講習を受けて資格をもち、ライフセイビングの指導を受けてオーシャンスイムや心肺蘇生などを学んだサーファーを中心にクラブを結成することで、ビッグウェイブサーフィンの安全性を高めていく活動を進めている。

エルニーニョが続く今年2016年。
ハワイでは6シーズン振りのTHE EDDIEが行われた。
今冬の勝浦BAYの北ウネリはさっぱりだったが、このところの気象の変化の激しさをみていると今年もビッグウェイブはやって来るに違いない。
シーズンに向けたジェットレスキューのトレーニングが始まる。
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GWに来日したエリックさんとは深いディスカッションを交わした。
昨年のSHOTGUN DROPのシークエンス写真(ほぼパーリングやとワイプアウト)をチェックしてもらい、それをメイクできるボードを話し合った。
ハイタイドには今まで通りSHOTGUN SPECIALが最高だが、とくにロータイドの2段3段と掘れ上がるSLABS SURFをサバイブ出来るサーフボードについて話し合った。
その結果、エリックさんの口から出たのは「STUNGUN」というモデル名だった。
ボードコントロールをしやすくするため長さを1フィート短く7’2にした。
しかし少ないパドルでトップスピードにもっていくためのボリュームを確保すべく幅と厚みを増した。
21インチの幅と3インチ+の厚みのフラットデッキからハードレールへ。
ノーズも厚みを残しつつフラットなフォワードロッカーからキックするテイルロッカーへ。
波に張り付くクアッドフィンとスワローテイルという設定だ。

「STUNGUN」は深みから一気に浅瀬に乗り上げるような波には有効なのだろう。
激掘れ系のビーチブレークや河口の波にも使える可能性がある。
6’10が必要な河口のビックバレルを6’1でコントロール出来るかもしれない。

2016年の夏に私の7’2゛とマリブポイント高梨氏の7’0゛STUN GUNが届いた。
SHOTGUNこそ出来なかったが、2016年の台風シーズンのビッグマリブから2017年初めのセカンドリーフ松部ではSTUNGUNが大活躍している。
1月15日のセッションで、高梨氏はセカンドリーフ松部からドロップして、最大級のバレルをメイクしてSTUN GUNのポテンシャルを証明してみせた。
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今期はさらに短くして、SLAB松部のバレルに飛び込むに最適なモデルを探求してみたい。

新しいエクィップメントでさらなる新しい世界を見てみよう。
勝浦BAYに新たな伝説が生まれるに違いない。